★★☆ ナイト・ハーレム 02


 ばさぁ!!
「シラギ様っ!! いらっしゃいますねっ!?」
 問答無用で何重にも重なっている薄布の扉を開けた。
 いつものことだが、昨日も昨日でまた宴があった。いや、あんなのただの飲み会で十分だ。それに伴い頭が痛いは、みっともないはで、気分は爽やかな朝とは反対に最悪だった。
 そして、朝一番の仕事もクレースに心身ともに疲れをプレゼントしてくれる。
「あははっ! なんだ、クレースじゃないかっ!! はははっ・・・!!」
 お世話をするようになって、まだ半年ばかりだが、我が主人シラギは、それはもうだらしなく、自堕落の極地を極めたような姿でひとり楽しそうに笑っていた。
 本当にあんなろくでもない噂通りだったなんて!
「なに昼間っからお酒なんか飲んでいるんですかっ!?」
 それも大量に!
 普通なら人に何を言われようと、仕えている主人の悪口など言わない。耳に入ったとしても、信じられない思いで一杯になるはずなのだが、この人だけは例外だった。
 仕えしだした当初は、例え古株の侍女に何を言われたとしても、到底信じられなかった。その内容も、これでもか、と言うほどろくでもないことばかりで、まさか、そんなこと有り得ない、と思っていた。財を築いた家の方だから、きっと妬み嫉みで言われているのだと信じて疑わなかった。そんなことを言う侍女こそ主人を落とし入れようとしている悪人だ、と食って掛かるべきなのだ。普通は。そう、普通であるならば…。
 しかし、この主人(シラギ)には常識が通じなかったのである。
 限りなくある、聞くもとんでもない噂の数々は、どれもこれも、どうしようもなく事実だったのだ。
 目の前には酒瓶をいくつも転がして赤い顔で地べたに座り込んでいるシラギがいた。足腰が立たないのか、ひどくだらしない格好だ。
「えぇ? だって、西方から珍しい酒が届いたって聞いたからぁ・・・」
 へらへらと頬を緩ませながら、シラギは当然のことのようにそんなことを言う。
「だからって、こんな真昼間っから酒浸りになるなんて・・・常人のすることじゃありませんよっ!!」
「う〜・・・。なんだぁ、そんなに煩く喚くな・・・。すごく煩いぞ、お前の声はぁ・・・」
「それはあなたが酔っ払っていらっしゃるからです!」
「・・・喚くなって言っているだろうが。・・・ああ、煩い・・・。大体、お前はなんでそんなに怒っているんだ?
 俺は別に悪いことなんか、これっぽっちもしてないじゃないか・・・」
「悪いか悪くないかはご本人には分からないようですがねっ!!」
「っ・・・。だから喚くなと・・・」
 ああ、痛い痛い、などと大げさに痛がって見せた後、またもや人前だというのに酒瓶に直接口をつけて中の酒を一気に煽ったりする。
「飲まないで下さいと言っているんですっ!」
 そこを無理やり奪い取ると、シラギは恨めしそうな顔をした。
「わかったぞ・・・お前も飲みたかったんだろう・・・? だから俺がひとりで先に飲んでいたのが、そんなに気に食わないんだな?」
「は?」
「そうならそうと、最初から言え!」
「なっ!? シラギ様? シラギ様〜〜〜っ!?」
 ふらりと立ち上がったかと思えば、シラギはそのままクレースに飛び掛った。
 そして、酔っているとは思えない力でその手から酒瓶を奪い取ると、今度はクレースの口に無理やり押し付けた。
「ほら、飲め。飲め飲め。・・・美味いだろう? この酒は年代ものなんだ。すごく珍しいそうだ」
「む〜〜〜〜っ!! げふっごほっごぼごぼっ・・・!!」
「美味いか? そりゃ美味いよな。俺の従者でよかったなぁ・・・!!」
 あははは、とまたひとり楽しそうに笑い出すシラギ。
 その下でクレースは口から溢れる酒に溺れていた・・・。
「う、ん〜・・・? あれ、酒がなくなってしまったぞぉ・・・?」
 空になった酒瓶を左右に危なっかしく振りながら、シラギは不満そうにぶつぶつと文句を言い始めた。
「・・・ふっ、げほっ! がはっ! ・・・はあ、はあ・・・!」
 死にそうになったクレースは完全に酔っ払っている主人を涙目で睨みつけた。
「…ぜいぜい…」
 荒い呼吸をどうにか押し込めると、天にも届けとばかりに叫んだ。
「しっかりしてください! シラギ様!!」
「うあ〜…いて、いた、いたた……」
 なにするんだ、と言わんばかりの恨みがましい視線に、同じくこれ以上ないほどの恨みをこめて見返す。
「頭が痛いぞ…割れそうだ……」
「あなたは二日酔いなんて、慣れっこでしょう!? このくらいでどうにかなるほど柔じゃない! もういい加減しっかりして下さい!!
 情けなくないんですか!? 毎日毎日、何かしら理由をつけて、宴を開いて…酒に入り浸って…!!」
「ああ、いたた…だから頭が痛いって言ってるだろ…?」
「私はもうっ!! 情けなくて…情けなくて、……悔しくて堪りませんよっ!!!」
「ッ…」
 びくり、とシラギの肩が揺れた。
「だから、今頭が痛いと言ってるだろう…っ!!」
「言わせてもらいますがね!! あなたは戦ってもいない! 戦わずに逃げたんです! 負けるのが怖くて!! 自分を戦う価値もない人間に仕立てあげて! 最初から、勝ちはお前に譲ってやると大きな顔して!!
 こんなのは、心が狭くてずるくて弱くて酒に溺れる駄目な人間がやることですっ!!」
「おい…ちょっと待て。途中から散々なこと言ってないか、お前…。それ、ただの悪口だろ?」
 ただ鬱憤を晴らしたいだけなんだろう、と当たらずしも遠からずなことを言ってくる。いや、実際は当たっているのだが、今はそんなこと問題じゃない!!
「あなたは立派な才能をもっていらっしゃる! それなのに、最初から負けしか手に入れようとしていない!! あなたに足りないのは、実力でも才能でもないっ!! ただ、戦う意志です!!」
「………」
「シラギ様! 例えどんな理由があったとしても、弟君とは正々堂々と争うべきですよっ!!」
「…うるさいな………私は疲れた。もう寝る。これ以上ここに居る気なら、お前に床の準備をしてもらう。そして、その後、子守歌の刑だ」
「ちょっ…!? あほなこと言ってないで下さい!! あなたがあまりにも現実から目を逸らすというのなら、こちらにだって、考えがありますからね…!?」
「ふん、どうせ、取るに足らないことだろう。金勘定もろくに出来ない商人の息子の考えなど、底が知れてる」
「むかっ!! それならいいですよ、そうやって上から見くびっていればいい! 後で泣いて後悔するのはあなたの方ですからねっ!!!」
「ふん、ほざけ。夢のまた夢だ。今から、そんな夢を見るかもな。そして目覚めれば、いつものように情けない顔のお前がうな垂れてるだけだ」
「…その言葉、近いうちに完膚なきまでに後悔させてあげますよ…」
「面白い! せいぜい楽しみにしといてやろうじゃないか!」
「そう言っていられるのも今のうちですがねっ!!」
「私は寝る。これから一切、何があろうと入ってくるなよ」
「はいはい、承知しておりますよ!!」

 そんな言い合いは日常茶飯事だった。いつものことだ。どうせ口だけだ。うな垂れたクレースが恨めしそうにこちらを見る、そんな平和な日常が続いていくのだと思っていた。いや、思うまでもなかった。それは、本当にただの日常だったのだから…。

 それをクレースが、有言実行で壊すなんてこと…その事実を目にするまで全く持って信じられなかった…。
 ああ…なんてことだ……よりにもよって、あいつを呼ぶなんて…。


* * *

 シラギたち、フォーラー家は、遠方との交易で先々代から急成長した商家のひとつだった。
 二代目フォーラー家当主として、両親が忙しく各地を飛び回る中、三人の子どもたちにこう言い付けて行った。
「この5年で一番功績を挙げた者を、三代目フォーラー家当主とする」
 子どもたちは、平等に資金を与えられ、交易を開始した。
 長女アンジェラ。
 長男シラギ。
 次男イオネ。
 男勝りなところのあるアンジェラは供を雇い、颯爽と海を越えた先に旅立った。
 慎重派のイオネは先代から付き合いのある商人たちと交流を深め、貴重で高価な塩や香辛料などの交易を地道に続け、それなりの成果を挙げている。
 今回クレースが”お目付け役”として雇われたシラギは・・・。
 シラギだけ何があったのか、ある日突然酒に溺れ、飲んだくれのロクデナシになっていた。
 酒を扱う商隊の接待を時折行い、珍しい酒を手に入れると、商売するよりも自分が飲むばかりという始末。
 付き合いのあったクレースの父が見兼ねて、クレースを”修行”と称して送りつけたのだ。クレースとしてはいい迷惑である。
 噂の又聞きでは、なんでも「姉には体力で勝てず、弟には頭脳で負ける無能な長男」というレッテルが貼られ、事実、現在最下位の成績だ。
 酒宴は自棄酒だろうが、ここ最近は特に酷すぎるという。
 身体を壊して早死にでもしたがっているような、無茶な飲み方だ。
 兄弟間の微妙な軋轢から嫌気が差したらしいシラギは、噂通り劣った自分をさらすのが嫌で最初から勝負を捨てているのだとか・・・。
 クレースはそんなシラギが悲しかった。
 あと、単純にストレスが溜まり過ぎて、突発的に爆発しそうだった。
 なんちゃって雇われ従者だが、ガツンとひとつお灸を据えて、現実に叩きのめされいい加減目を覚ませばいいと、荒い文字で一通の手紙を書いた。
 そして、勢いで送りつけた先は・・・。


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